「わたしが一番きれいだったとき」茨木のり子



わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね


「ある映像」小池昌代


テレビを消したあと ぱっと画面が
ぱっと画面が いっきょに暗くなって
わたしは こわい
テレビを消したのは 私の手なのに
サルの手がしたみたいな 簡単なその操作が
なにを消してしまったのか
理解できない
消滅したのは わたしじしん
スイッチを押すと 感情が流れ もう一度押すと シャットアウト
閉じられたこころには もう誰も入ってこられないよ
わたしのなかには いつのころからか
完璧な一台のテレビが入ってる
そう思ったとき わたしのそとに
一台のテレビが ありありと残った
何にも映さない暗闇の箱
そこに
消滅したわたしが 埋葬されている
わたしはテレビを消すたびに そうして自分を葬っているんだね
それじゃあ、いま、ここにいるわたしは、いったい誰
だんだん薄くなっているんだ
ちかごろじゃ、紙切れみたいに感じる
何をって? わたしじしんのこと
深夜の台所
素足が冷える
お米の粒が 床にこぼれている
母さんはいつも 計りこぼすんだ
父さんは寝ているのかな まだ帰ってこないのかな
ついさっき
新潟地震の報道を見た
土砂に埋まった車から まず、母親が運びだされた
青いビニールシートでぐるぐるくるまれ
ヘリコプターで運ばれていく途中
荷物みたいに それは回転した
死んでいるのか 生きているのか
知りたかったけれど わからなかった
テレビ画面は
その後 奇跡のように助けられたという
二歳の男の子の話ばっかり
母親は死んだのか 生きているのか
そのことには まったく触れない報道で
触れないがために、母は死んだのだな、と
わたしは察したが、わかりたくはなかった

翌日の新聞で「死亡」という文字を見た
そのときも 紙面のほぼすべては 生きていた男の子のことで埋め尽くされていた
青いビニールシートで荷物のように運ばれ 運ばれる途中、
ぐるりと回転した母親のことは
もう終わったのだ おしまいなのだ
(ママ!)
朝の食卓
母さんも父さんもなにごともなかったようで
ロボットみたいにうごいている
もしかしたら、ほんとうにロボットなのかもしれない
(うるさいな、テレビ消してよ)
そう思ったけれど、言えなかった
だって きっと
あれは呪文
香りたつコーヒー、皿のうえのトースト、
夢のようにたっぷりのせられたマーマレード
テレビを消した瞬間に
呪文もとけて
みたくない現実が 洪水のようになだれこむんだ
それは 食卓のコップをなぎ倒し
床を水浸しにしてしまうだろう
でもわたしは見たよ 忘れられない
誰も触れなかった 母親のこと
板にしばりつけられ 青いビニールシートでぐるぐるくるまれて
ヘリコプターで運ばれていく途中
それは回ったんだ
荷物みたいにね