「ある映像」小池昌代
テレビを消したあと ぱっと画面が
ぱっと画面が いっきょに暗くなって
わたしは こわい
テレビを消したのは 私の手なのに
サルの手がしたみたいな 簡単なその操作が
なにを消してしまったのか
理解できない
消滅したのは わたしじしん
スイッチを押すと 感情が流れ もう一度押すと シャットアウト
閉じられたこころには もう誰も入ってこられないよ
わたしのなかには いつのころからか
完璧な一台のテレビが入ってる
そう思ったとき わたしのそとに
一台のテレビが ありありと残った
何にも映さない暗闇の箱
そこに
消滅したわたしが 埋葬されている
わたしはテレビを消すたびに そうして自分を葬っているんだね
それじゃあ、いま、ここにいるわたしは、いったい誰
だんだん薄くなっているんだ
ちかごろじゃ、紙切れみたいに感じる
何をって? わたしじしんのこと
深夜の台所
素足が冷える
お米の粒が 床にこぼれている
母さんはいつも 計りこぼすんだ
父さんは寝ているのかな まだ帰ってこないのかな
ついさっき
新潟地震の報道を見た
土砂に埋まった車から まず、母親が運びだされた
青いビニールシートでぐるぐるくるまれ
ヘリコプターで運ばれていく途中
荷物みたいに それは回転した
死んでいるのか 生きているのか
知りたかったけれど わからなかった
テレビ画面は
その後 奇跡のように助けられたという
二歳の男の子の話ばっかり
母親は死んだのか 生きているのか
そのことには まったく触れない報道で
触れないがために、母は死んだのだな、と
わたしは察したが、わかりたくはなかった
翌日の新聞で「死亡」という文字を見た
そのときも 紙面のほぼすべては 生きていた男の子のことで埋め尽くされていた
青いビニールシートで荷物のように運ばれ 運ばれる途中、
ぐるりと回転した母親のことは
もう終わったのだ おしまいなのだ
(ママ!)
朝の食卓
母さんも父さんもなにごともなかったようで
ロボットみたいにうごいている
もしかしたら、ほんとうにロボットなのかもしれない
(うるさいな、テレビ消してよ)
そう思ったけれど、言えなかった
だって きっと
あれは呪文
香りたつコーヒー、皿のうえのトースト、
夢のようにたっぷりのせられたマーマレード
テレビを消した瞬間に
呪文もとけて
みたくない現実が 洪水のようになだれこむんだ
それは 食卓のコップをなぎ倒し
床を水浸しにしてしまうだろう
でもわたしは見たよ 忘れられない
誰も触れなかった 母親のこと
板にしばりつけられ 青いビニールシートでぐるぐるくるまれて
ヘリコプターで運ばれていく途中
それは回ったんだ
荷物みたいにね
「きょう、ゆびわを」 小池昌代
「きょう、ゆびわを」
と言いかけて
彼が立ちあがった
きょうは、クリスマスである。
その背中に
(「あなたに、買った」)
と構想を重ねたが
人生は
「道で拾った」
と続くのだった
指にはめるとぐらぐらとまわった
小さなダイヤとサファイヤの。
「けいさつに」
届けるべきだろうか?
そんなことは知らない
がっかりしたので
「がっかり」と言った
彼は
「え?なに?なに?」と言いながら
ゆびわの今後に余念がない
持ち主は
ふっくらとした
やさしい指をした女にちがいない
わたしと
彼と
見知らぬ女と
その日
ゆびわのまわりには
ゆれうごくいくつかの感情があり
拾われて
所有者を離れたゆびわのみが
一点、 不埒に輝いている
「きょう、ゆびわを」
「いためて食べた」
でも
「きょうゆびわを」
「みずうみで釣った」
でもなく、
なぜ
「きょう、ゆびわを、道で拾った」のだ?
わたしはふいに
信じられないことだが
この簡単な構文に
自分が感動しているような気がした
ひとが歩き、ひとが生きたあとを
文が追っていく
なんということだろう
そして
あのひとが
「きょう、ゆびわを」
と言ったあと
そのあと
一瞬、訪れた、深い沈黙
文ができあがる
私に意味が届く
私をうちのめし、私を通りすぎ
生きられたことばは
すぐに消えてしまう
私はあわてて紙に書きつける
しかしそれは
どこからどう見たとしても
平凡でありきたりな一文だった
「きょう、ゆびわを、道で拾った」
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