tag:blogger.com,1999:blog-88118771704034977642024-02-08T20:42:01.742+09:00おすすめの詩 - 全文 -furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comBlogger71125tag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-5905723111723583622021-06-01T21:50:00.007+09:002021-06-01T21:53:47.498+09:00「のび太」という生き方 / 糸久拓見<div data-en-clipboard="true" data-pm-slice="0 0 []">「のび太」という生き方 / 糸久拓見</div><div><br /></div><div><br /></div><div color="rgb(102, 102, 102)" style="color: #666666; text-align: justify;"><span style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro';"><span style="font-size: 14px;"> 「ドラえもん」はマンガ世紀の最高傑作と言われ、海外でも人気の高い不朽の名作である。このマンガの主人公でダメなやつの代名詞にもなっているのび太について多くの読者は、成績が悪く、運動もまるで駄目、先生や母親に叱られることは日常茶飯事、友だちからはいじめられてばかり、しかし、ドラえもんのひみつ道具が彼に夢を運んでくる…と思っているかもしれない。だが、「のび太という男の子は、じつは想像以上に人生を上手に歩んでいる」と著者は言っている。僕も本書に出会うまで、「ドラえもん」について、小学生向けのマンガとしか思っていなかったし、無理に回を重ねている感があった。しかし、実は大部分のひみつ道具に、常に何らかのメッセージがあり、それらを総括して言うと、何が起ころうと自らの力で解決することが最も良い対処法であるということだ。本書を読んで作者の子供たちへのメッセージが「ドラえもん」の底流にあることを知り、目から鱗が落ちた。また、「ドラえもん」の内容は多様化しており、いじめや、不登校、自殺志願といった問題から、環境問題など、現代社会が抱えている問題を、その問題に対する価値あるメッセージと共に取り込んでいると著者は分析している。このように考えると、「ドラえもん」は非常に奥が深く、「所詮はマンガ」の一言では片付けられないように思う。のび太はひみつ道具の助けや自らが置かれた境遇により、潜在意識の中で眠っていた、優れた資質が現れた。言いかえれば、のび太の中で眠っていた原石がひみつ道具などにより磨かれていった結果、美しく輝く宝石となったのである。僕の中に眠る原石はまだ、宝石にはなっていないけれども、磨くことができるきっかけを可能なだけ掴みたいと思う。</span></span></div><div><br /></div><div color="rgb(102, 102, 102)" style="color: #666666; text-align: justify;"><span style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro';"><span style="font-size: 14px;"> 僕は心配症でマイナス方向に考えすぎだとよく言われる。これは自分でも感じていることで、例を挙げれば数限りないほどだ。また、自分に対する自信もなく、よく失敗してしまう。よく失敗する点は似ているが、僕とのび太との大きな違いは楽観的か悲観的かという点だと思う。のび太はあまり事態を深刻に受け止めることなく、何事に対しても、失敗を恐れずに比較的さらりと対応する。しかし、僕はと言うと、何事も深刻に受け止めすぎる傾向があり、失敗を恐れてなかなか行動に移ることができない。まず、夢を叶えるために、先の事をあまり深く考えず、今取りくんでいる事に全力を尽くし、失敗してしまったら再度チャレンジすればいいという考えを念頭に置いておきたいと思う。「ほかのものが目に入らないほどの集中力を持って目標に打ち込むことで、『くじけない心』は、さらに強さを増すことができる」と著者は言う。「くじけない心」は僕に決定的に足りないものである。しかし、今の僕には一心不乱になって打ち込むことができるものがないので、まずそれを探さなくてはならない。また、のび太はどんなに痛めつけられても、悪口や妬みよりも、「なにくそ」といった反発力の方ヘエネルギーを昇華させている。このように、悪口を口にせず、行動するためには、他人の素晴らしい面を素直に「いいな」と肯定する姿勢が必要で、そういう姿勢が、自分を成長させられるのである。しかし、「いいな」と肯定することはできても、悪口や妬みにエネルギーを使わないのは難しいと思う。これも心のゆとりが関係しているのだろう。本書を読み進めて、夢を叶えるための法則と今の自分との違いを知り、少々落ち込んでいる中で、ただ一つ一致しているものがあった。それは、「欲があまり無い」という点である。この一致は非常に嬉しく思えた。のび太の長所として代表的なものに、優しく何に対しても分け隔てなく接することができるというものがあり、そのような姿勢が楽しく暮らしながら夢を叶える基礎だと著者は言っている。つまり今も社会に根強く残っている差別や偏見を無くし、相手がどんなものであれ、優しく接しようということだ。これは個人がそれぞれ自覚しなくてはいけないと思う。また、藤子・F・不二雄が「ドラえもん」を描いていた頃よりも、大人も子供も忙しくなっているので、その分、ストレスが溜まりやすいと思う。それは少年犯罪の件数が増えていることからも分かる。日々、メディアを騒がせている少年犯罪の中には、両親や学校の先生に見離されたことが原因となっているように見受けられるものがある。親が子供を叱ることは、実は子供がまだ親に信用されており、見離されてはいないことの証なのだということを改めて感じた。</span></span></div><div><br /></div><div color="rgb(102, 102, 102)" style="color: #666666; text-align: justify;"><span style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro';"><span style="font-size: 14px;"> ダメなやつの代名詞であるのび太から人生について学んだことは癪ではあるが、僕以外にものび太から色々と学ぶべき人々は沢山いると思う。やがて勝ち組となるであろうのび太の生き方を見ていると、大らかに、前向きに、自分を見失うことなく、淡々と生きていく事が大切だと思うし、親や友だち、ひいては社会に受け入れられているという実感もとても大切なことだと思った。また、のび太が夢を叶えることが出来た根本的な理由はドラえもんと出会ったからである。つまり、ドラえもんはロボットの形をした希望そのものであると言える。僕にロボットの形をしたドラえもんはいないけれども、心の中にドラえもんは存在する。希望を持ち続けることにより、心の輝きを失わずに、豊かな人生を送りたいと思う。</span></span></div><div><br /></div><div><br /></div><div color="rgb(102, 102, 102)" marginbottom="10" style="color: #666666; margin-bottom: 10px; padding-left: 40px; text-align: justify;"><br /></div><div><br /></div>furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-58548640815117778052021-05-11T12:49:00.003+09:002021-05-11T12:50:26.841+09:00「闇は光の母」谷川俊太郎<p> 闇は光の母 / 谷川俊太郎<br /></p><p><br />闇がなければ光はなかった<br />闇は光の母 </p><p>光がなければ眼はなかった<br />眼は光の子ども</p><p>眼に見えるものが隠している<br />眼に見えぬもの<br /><br />人間は母の胎内の闇から生まれ<br />ふるさとの闇へと帰ってゆく<br /><br />つかの間の光によって<br />世界の限りない美しさを知り<br /><br />こころとからだにひそむ宇宙を<br />眼が休む夜に夢見る<br /><br />いつ始まったのか私たちは<br />誰が始めたのかすべてを<br /><br />その謎に迫ろうとして眼は<br />見えぬものを見るすべを探る<br /><br />ダークマター<br />眼に見えず耳に聞こえず<br /><br />しかもずっしりと伝わってくる<br />重々しい気配のようなもの<br /><br />そこから今もなお<br />生まれ続けているものがある<br /><br />闇は無ではない<br />闇は私たちを愛している<br /><br />光を孕み光を育む闇の<br />その愛を恐れてはならない</p>furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-87763435186252033642020-07-28T18:16:00.004+09:002021-05-11T12:51:19.180+09:00卒業生代表のことば / 遠野未咲卒業生代表のことば / 遠野未咲(広瀬すず)<div>( 映画 「ラストレター」監督・岩井俊二 より抜粋 )</div><div><br /></div><div><br /></div><div><div>卒業生代表のことば</div><div><br /></div><div>本日私達は、卒業の日を迎えました。高校時代は、私達にとっておそらく生涯忘れがたいかけがえのない思い出になることでしょう。</div><div><br /></div><div>将来の夢は、目標はと問われたら、私自身まだ何もわかりません。でもそれでも良いと思います。私達の未来には無限の可能性があり、数え切れないほどの人生の選択肢があると思います。ここにいる卒業生一人ひとりが、いままでもそしてこれからも他の誰とも違う人生を歩むのです。</div><div><br /></div><div>夢を叶える人もいるでしょう。叶えきれない人もいるでしょう。辛いことがあった時、生きているのが苦しくなった時、きっと私達は幾度もこの場所を思い出すのでしょう。</div><div><br /></div><div>自分の夢や可能性がまだ無限に思えたこの場所を、お互いが等しく尊く輝いていたこの場所を。</div><div><br /></div><div><br /></div><div>卒業生代表 遠野未咲</div></div><div><br /></div>furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-20089064756572350012018-03-31T03:58:00.000+09:002018-03-31T03:58:39.360+09:00「天のほうそく」 まど・みちお天のほうそくはむげんにある<br />
<br />
このよは天のほうそくのほうこだ<br />
<br />
ほうこを あけるカギは<br />
<br />
このよでなにをするか なのだろう<br />
<br />
あけて でてきたものが<br />
<br />
かつてこのよになかったものであるとき<br />
<br />
天はほほえまれる<br />
<br />
いまのこの一しゅんに<br />
<br />
このほしにいきる一つぶのわれらが<br />
<br />
そのものをどのようにつかいこなすかを<br />
<br />
みまもっていてくださりながらに<br />
<div>
<br /></div>
furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-49269599628259812712016-11-16T05:13:00.001+09:002016-11-16T05:27:32.710+09:00「海に住む少女」ジュール・シュペルヴィエル<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px; min-height: 15px;">
この海に浮かぶ道路は、いったいどうやって造ったのでしょう。どんな建築家の助けを得て、どんな水夫が、水深六千メートルもある沖合い、大西洋のまっただなかに、道路を建設したというのでしょう。道に沿って並ぶ赤レンガの家、いえ、もうすでに色あせてフランス風のグレーになっていたけれど、この家や、スレートやかわらで出来た屋根や、地味でかわりばえのしないお店はいったい、どうやって? あの小窓がたくさんついた鐘楼はどうやって? たぶんガラス片のついた塀に囲まれた庭だったのだろうけれど、今や海水でいっぱいになっていて、時たま塀の上を魚が跳ねたりする場所は、誰がどうやって?</div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px; min-height: 15px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"></span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">波に揺さぶられることもなく、建物がみんなちゃんと建っているのはどうして?</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">そこにまったくのひとりぼっちで暮らす、十二歳くらいの少女。海水のなかの道を、ふつうの地面みたいに、すたすたと木靴で歩いてゆくこの少女は、いったい?</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"> 眺めているうちに、わかるにつれて、おいおいお話しするつもりですが、謎のままであるべきことは、そのままにしておくしかありません。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"> 船が近づくと、まだ水平線にその姿が見えないうちから、少女はとても眠たくなって、町はまるごと波の下に消えてしまいます。だから船乗りたちは、望遠鏡の先にすらこの町を見たことがなく、町があるなんて考えたことさえないのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女はこの世に、自分以外にも女の子がいるなんて知りませんでした。いえ、そもそも自分が少女であることすら、知っていたのでしょうか。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px; min-height: 15px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">とんでもない美少女、というわけではありませんでした。前歯にちょっと隙間がありましたし、鼻もちょっと上向きでしたから。でも、肌は真っ白で、そのうえに少しだけ、てんてんがありました。まあ、そばかすといってもいいでしょう。ぱっちりというわけではありませんが、輝く灰色の瞳が印象的なこの少女、灰色の瞳に動かされているようなこの少女の存在に気がついたとき、あなたは時間の底から大きな驚きが湧き上がり、身体をつらぬき、魂にまで届くのを感じることでしょう。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">この町でたった一人のこの少女は、時おり、まるで誰かが手を振ったり、会釈をしてくれたり、何か挨拶をしてくれるのを待っているかのように、道の左右を眺めます。でも、それはそんなふうに見えるだけのこと。少女にそんなつもりはないのです。だって、この誰もいない町、今にも消えてしまいそうなこの町では、何も、そして誰も、やってくるはずなどないのですから。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女は、どうやって生活しているのでしょう。魚を釣っている? そんなことはないでしょう。食べ物は、台所の棚や食料庫にありました。二、三日にいっぺんは、お肉もありました。じゃがいもや、そのほかの野菜、卵もときどき、そこに入っていました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">食料は棚のなかに、自然と湧いてくるのです。そして、少女がびんを開けてジャムを食べても、ある日そうだったのとまったく同じように、すべてのものは永遠にそのままであるかのように、ジャムは開封前の状態に戻ってしまうのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">朝には焼きたてのパンが半リーヴル(約二五〇グラム)、包装紙に包まれて、パン屋の大理石のカウンターに置かれています。カウンターの向こうには、いつ見ても誰もいません。パンを少女に差し出す手や、指先が見えるわけでもありません。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
少女は朝早くに起きて、お店のシャッターを上げてまわります(シャッターには、居酒屋の看板もあり、鍛冶屋やパン屋、小間物屋などと書いてあるのです)。すべての家のよろい戸を開け、海風が強いので、きっちり留め金をかけてゆきます。お天気しだいで窓を開けることもあります。いくつかの家の台所でかまどに火を起こし、三、四軒の屋根から煙が立ち上るようにします。</div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">日暮れの一時間前になると、あたりまえのように、よろい戸を閉めてまわります。そして、シャッターを下ろすのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女はこの役割を、本能のままに、何もかもきちんとしておかなければならないという日々の思いに動かされて、黙々とこなしています。あたたかな季節には、窓に敷物を干したり、洗濯物を出したりもします。まるで、何とかこの町に生活感を出そうと、少しでも誰かがいるみたいに見せようとしているかのようです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">祝日に掲揚する町役場の旗のことも、一年じゅうずっと、気にかけていなければなりません。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">夜になるとロウソクをともしたり、ランプの明かりで縫い物をしたりします。町には電気のある家が何軒かあり、少女は愛らしく気取らぬ様子で、電気のスイッチに手をやるのでした。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">あるとき、少女はある家の扉のノッカーに喪章を結びました。何だかいいなと思ったのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女は、二日間そのままにしておいてから、喪章を隠しました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">また別のあるとき。少女は、なんと、太鼓をたたき始めました。皆にニュースを知らせてまわるかのようです。少女は海の向こうまで聞こえるように、むしょうに何か大声で叫びたくなったのです。でも、のどが詰まり、声はでてきませんでした。あんまり声をだそうとがんばったので、ついには、顔や首が血の気を失い、溺死体のような色になってしまったほどです。結局、太鼓をいつもの場所、町役場の大広間の奥、左側の隅っこに戻さねばなりませんでした。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女は、螺旋階段を使って、鐘楼に登りました。誰の姿も見たことがないのに、階段は多くの足で踏まれて磨り減っていました。鐘楼の階段は五百段あるはずだと、少女は思っていました(実際には九十二段でしたが)。鐘楼からは、レンガ造りの建物のあいだから見るよりも、ずっと広い空を眺めることができます。それに、朝と晩、正確に時刻を告げてもらうには、ねじを巻き、大きな柱時計を満足させなければなりません。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">納骨堂、裁断、暗黙の秩序を迫る石造りの聖人像。きちんと並び、老若男女の訪れを待っている、今にもおしゃべりが聞こえてきそうな椅子の列。金色の飾りは古び、これからもこのまま朽ちてゆきそうな祭壇。そのどれもこれもが、何だか気になって、でも怖くもありました。だから、少女は一度も礼拝堂には入ったことがありませんでした。時おり、暇なときに布張りの扉を細く開け、息をころしたまま中にちらりと目をやるだけで充分でした。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女の部屋にある衣装箱には、家族手帳や、ダカール、リオデジャネイロ、香港からの絵葉書が入っていました。絵葉書には、シャルル、もしくは、C・リエヴァンという署名があり、スティーンヴォルドという住所が書いてありました。でも、海のただなかに住むこの少女は、これらの遠い国のことも、シャルルやスティーンヴォルドが何なのかも知りません。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">棚には写真アルバムもありました。そのなかの一枚には、海に住むこの少女と、よく似た少女が写っていました。少女はこの写真をみると、しばしば何だか居たたまれない気分になりました。何だか写真のなかの少女のほうが正しいような、本物のような気がするのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">写真のなかの少女は輪回しの輪をもっていました。少女は、同じような輪をもっていました。少女は同じような輪を町じゅう探しまわりました。ある日、ようやく見つかりました! ワイン樽のたがに使われている鉄の輪です。でも海のなかの道を、輪を追いかけて走ってみても、輪はすぐに沖に流されていってしまうのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">別の写真では、少女の両側に、水平の服を来た男のひとと、よそゆきの服を着た、か細い女のひとが立っていました。海に住む少女は、男のひとも女のひとも見たことがなかったので、このひとたちはいったいなぜこうしているのだろうと、ずっと不思議に思っていました。真夜中にふと、まるで雷に打たれたようにはっとする瞬間でさえ、それが気になっているのでした。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女は、毎朝、ノートや文法書、算数、歴史、地理の教科書がつまった大きなランドセルを背負って、町の学校に行きます。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">フランス学士院の会員であるガストン・ボニエ、サイエンス・アカデミーの受賞者であるジョルジュ・レイヤンの共著、一般的な植物から薬草、毒草まで、八百九八の図説が入った植物図鑑もあります。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女は植物図鑑の序文を読み上げます。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「あたたかい季節のあいだ、野原や森は植物にあふれ、じつに簡単にたくさんの種類の植物を集めることができます」</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">歴史、地理、いろんな国のこと、偉人たちのこと、山や河、国境のこと。大西洋でいちばん孤独な少女に、誰もいない道ばかりが続く小さな町しか見たことがない少女に、どうやってそれを説明すればいいのでしょう。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">そもそもその大西洋でさえ、地図に載っている大西洋が、今まさに自分のいる場所だなんて、少女はわかっていないのです。いえ、ほんの一瞬だけ、そんなことを想像した日もありました。でも、そんなの馬鹿げているし、危険すぎると思ってあわてて打ち消したのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px; min-height: 15px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">とりあえず、目に見えない先生が書き取り問題を出しているみたいに、少女はしばらくじっと動かずに耳をすまし、それからいくつかの言葉を書き取り、また耳をすまし、また書き始めます。それからいくつかの言葉を書き取り、また耳をすまし、また書き始めます。それから文法書を開き、しばらくのあいだ息をつめて、60ページの例題168に見入っていました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女は、この問題が好きなのです。まるで問題集が言葉をもち、少女に直接話しかけてくれているような気がするからです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「あなたは……ですか」「あなたは……思いますか」「あなたは……話しますか」「あなたは……ほしいですか」「……声をかけるべきですか」「いったい……あったのですか」「……責めているのですか」「あなたは……できますか」「あなたは……しでかしたのですか」「……問題ですか」「このプレゼントを……もらいましたか」「あなたは……つらいのですか」(必要な助詞を補いながら……の部分に適切な疑問題名詞を入れなさい)</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px; min-height: 15px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px; min-height: 15px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">時おり、少女はどうしても、何か文章を書かずにいられない気分になります。そして、一生懸命に文字をつづります。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">いろんなことを書くのですが、そのなかの一部を見てみましょう。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「これを二人で分けましょう。どうですか」</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「聞いてください。おかけください。動かないでください。おねがいです」</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「もしわたしに高山の雪がひとかけらでもあれば、一日があっという間に終わるのに」</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「泡よ、泡よ。わたしのまわりの泡よ。もっと硬いものになれないの?」</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「輪になるには、最低、三人がひつようだ」</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「埃の舞う道路を、顔のない二つの影が逃げ去ってゆきました」</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「夜、昼、昼、夜、雲、それから飛び魚たち」</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「何か物音が聞こえたように思いましたが、海の音でした」</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">町のこと、自分のことを手紙に書くこともありました。誰かに宛てて書くわけではありません。手紙の末尾に「あなたにキスを」とは書きませんし、封筒には宛名もありません。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">手紙を書き終えると、海に投げます。――別に捨てるわけじゃありません。ただ、こうするべきだからです――もしかすると難破船の船員が、すがる思いで最後のメッセージをびんに詰め、波に託すようなものかもしれません。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">海に漂う町では、時間がとまっています。少女はいつまでも十二歳のままです。いくら自室の鏡のまえで胸を反り返らせてみても、大きくなりはしないのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">ある日、アルバムの少女とそっくりの三つ編みや広いおでこが嫌いになり、自分や写真に腹が立ってきました。そこで、少しでも大人っぽく見えるように乱暴に髪をふりほどき、肩にたらしてみました。もしかすると、まわりに広がる海も何か変わるのではないかしら。真っ白いひげの大きなヤギが海から現れ、様子を見に来るのではないかしら。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">でも大西洋にはあいかわらず何の気配もなく、少女のもとを訪れたのは、いくつかの流れ星だけでした。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">ある日、まるで運命のいたずらのように、運命の確固たる意志にほころびが生じたかのように、変化が訪れました。小さな本物の貨物船がもくもくと煙を吐きながら、ブルドックのように強引に、荷が重いわけでもないのに(日の光をあびて、喫水線の下の赤い部分が帯のように見えていました)、大波に揺らぐこともなく、少女の住む町の道を通り過ぎていったのです。しかも、家並は海中に消えることなく、少女が睡魔に襲われることもありませんでした。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">ちょうど正午でした。貨物船はサイレンを鳴らしました。でも、サイレンが町の鐘とまじりあうことはありませんでした。二つの音はまったく別々に鳴り響いていたのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女は、生まれて初めて人間が鳴らした音を耳にし、窓にかけよると、大声で叫びました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">「助けて!」</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">そして、学校で使うエプロンを船にむかって振りました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">舵手は振り返ろうとさえしませんでした。ひとりの水夫が、煙草をふかしつつ、何事もなかったように甲板を通り過ぎます。他の者たちも、洗濯の手をやすめようとしません。船首では、先を急ぐ貨物船のために、イルカたちが左右によけて道を譲っています。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女は道に飛び出し、身を伏せるようにして、路上に残った船の航跡を抱きしめました。ずっとそうしていたので、少女が立ち上がる頃には、その航跡も海の一部へと戻り、もう何の名残も感じられないまっさらの海になってしまうのでした。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">家に帰り、少女は自分が「助けて」と叫んだことに愕然としました。そのとき初めて、この言葉が本当は何を意味しているのか、理解したのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">その意味に気がつくと、怖くなりました。あのひとたちには、あの声が聞こえなかったのでしょうか。船乗りたちは、耳が聞こえなかったのでしょうか。目が見えなかったのでしょうか。それとも、海の深さよりもずっと残酷なひとたちだったのでしょうか。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">そのとき、これまでは町から距離をおき、どうみても遠慮していたと思える波が、少女のもとに流れ込んできました。大きな大きな波は、他の波よりもずっと遠くまで左右に広がってゆきました。波のてっぺんには、白い泡でできた本物そっくりの眼がありました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"> 波は、あることに思いあたり、そのままにしておけないという様子でした。一日何百回と生まれては崩れてゆく波ですが、いつでも必ず、同じ位置にはっきりと眼をつけておくことを忘れませんでした。時おり、波は何かに気をとられ、自分が波であること、七秒毎に繰り返さねばならないことを忘れて、波頭のまま宙に一分近くもとどまることもありました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">じつは、この波、ずいぶん前から少女のために何かしてあげたいと思っていました。でも、何をすればよいのかわからなかったのです。波は、貨物船が遠ざかるのを目にし、取り残された少女の苦しみに気がつきました。我慢できなくなった波は、無言のまま、少女の手を引くようにそこからほど遠からぬ場所につれてゆきました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">波は波のやり方で少女の前にひざまずくと、大事に大事に、少女を自分の奥深くに抱きかかえました。そのままずっと少女を抱きしめ、死の力を借りて、連れ去ってしまおうとしたのです。少女自身も息をとめて、波の考えた重大な計画に従おうとしました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">ついに命を奪えないまま波は少女を空高く、海燕ほどの大きさに見えるほどまで突き上げました。そのまま、ボールのように落ちてきた少女を受け止め、突き上げ、受け止めてと繰り返しました。少女は、ダチョウの卵のような大きな泡が散らばるなかに落ちてきました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">結局、何ごとも起こらず、少女を死にいたらせることができないとわかると、波は何度も何度も涙で詫を囁きながら、少女を家に送り届けました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">かすり傷ひとつ負わなかった少女は、何の希望もないままよろい戸の開け閉めを続け、水平線に船影が浮かぶやいなや、海のなかに消えてゆく生活に戻りました。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px; min-height: 15px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">沖合で、手すりにひじをつき、物思いにふけるそこの水兵さん、夜の闇のなかで愛するひとの顔をじっと思い浮かべるのも、ほどほどにしておいてくださいな。あなたのそんな思いから、とくに何もないはずの場所に、まったく人間と同じ感性をもちながら、生きるのも死ぬのもままならず、足することもできず、それでも、生き、愛し、今にも死んでしまいそうであるかのように苦しむ存在が、生まれてしまうかもしれないのです。海の孤独のなか、なんのよりどころも持たない存在が、生まれてしまうかもしれないのです。海の孤独のなか、なんのよりどころも持たない存在が生まれてしまうかもしれないのです。そう、この大西洋のなかに住む少女のように。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">少女は、ある日、四本マストの船アルディ号の船員、スティーンヴォルド出身のシャルル・リエヴァンの思いから生まれました。十二歳の娘を失った船乗りは、航海中のある晩、北緯五十五度の位置で、死んだ娘のことを、それはそれは強い力で思いました。それが、少女の不運となったのです。</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px; min-height: 15px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px; min-height: 15px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">原題: L'enfant de la baute mer</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">Jules Supervielle</span></div>
<div style="font-family: helvetica; line-height: normal; margin: 0px;">
<span style="-webkit-font-kerning: none;">1931年発表</span></div>
furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-85153008976379697292016-11-16T04:58:00.003+09:002016-11-16T05:02:28.826+09:00「スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ」 スティーブ・ジョブズ世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではありません。たった3つです。<br />
<br />
<br />
まずは、点と点をつなげる、ということです。<br />
<br />
私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。<br />
<br />
私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。<br />
<br />
ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えました。<br />
<br />
生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではありませんし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。<br />
<br />
そして17年後、私は本当に大学に通うことになりました。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。<br />
<br />
そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えませんでした。<br />
<br />
私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなりました。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。<br />
<br />
<br />
とはいえ、いい話ばかりではありませんでした。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。<br />
<br />
それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大学では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。<br />
<br />
キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。<br />
<br />
<br />
もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしませんでした。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。<br />
<br />
美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。<br />
<br />
<br />
繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかありません。<br />
<br />
運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。<br />
<br />
<br />
<br />
2つ目の話は愛と敗北です。<br />
<br />
<br />
私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。<br />
<br />
共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。<br />
<br />
そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。<br />
<br />
実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。<br />
<br />
最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまいました。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当にしんどい出来事でした。<br />
<br />
<br />
1カ月くらいは呆然としていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをお詫びしました。<br />
<br />
公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。<br />
自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。<br />
<br />
そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。<br />
<br />
<br />
その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。<br />
そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。<br />
<br />
アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。<br />
非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。<br />
<br />
やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。<br />
<br />
<br />
3つ目の話は死についてです。<br />
<br />
<br />
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしています。<br />
<br />
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。<br />
<br />
<br />
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。<br />
なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。<br />
<br />
1年前、私はがんと診断されました。<br />
朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。<br />
<br />
医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。<br />
<br />
<br />
一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。<br />
のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。<br />
<br />
人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。<br />
<br />
誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。<br />
死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。<br />
<br />
あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。<br />
他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。<br />
<br />
私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。<br />
<br />
<br />
スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。<br />
<br />
ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。<br />
そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。<br />
<br />
<br />
ハングリーであれ。愚か者であれ。<br />
<br />
ありがとうございました。<br />
<br />
<br />
※ スティーブ・ジョブズが2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチfuruyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-44977336625658251702016-11-16T04:42:00.000+09:002016-11-16T04:42:05.265+09:00「弔辞」 森田一義八月の二日に、あなたの訃報に接しました。<br />
<br />
六年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。我々の世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。<br />
<br />
十代の終わりから、我々の青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。<br />
その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。<br />
<br />
終わって私のとこにやってきたあなたは『 君は面白い。お笑いの世界に入れ。八月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないなら、私のマンションにいろ 』と、こういいました。<br />
自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。<br />
<br />
しばらくは、毎日、新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。<br />
いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のことも色々とあなたに学びました。<br />
あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。<br />
<br />
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。<br />
そのために騙されたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。<br />
<br />
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。<br />
あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『 このやろう逝きやがった 』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。<br />
<br />
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。<br />
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。<br />
<br />
いま、二人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。<br />
最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。<br />
<br />
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『 お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ 』と言っているに違いありません。<br />
あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。<br />
<br />
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。<br />
しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。<br />
<br />
合掌。<br />
<br />
平成二十年八月七日 森田一義furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-56196593954775522852016-11-16T04:29:00.001+09:002016-11-16T04:29:03.673+09:00「ぼくがここに」 まど・みちおぼくが ここに いるとき<br />
ほかの どんなものも<br />
ぼくに かさなって<br />
ここに いることは できない<br />
<br />
もしも ゾウが ここに いるならば<br />
そのゾウだけ<br />
<br />
マメが いるならば<br />
その一つぶの マメだけ<br />
しか ここに いることは できない<br />
<br />
ああ このちきゅうの うえでは<br />
こんなに だいじに<br />
まもられているのだ<br />
どんなものが どんなところに<br />
いるときにも<br />
<br />
その「いること」こそが<br />
なににも まして<br />
すばらしいこと としてfuruyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-69124498740070082302016-10-07T08:31:00.000+09:002016-10-07T08:31:16.969+09:00「大声を出して戦うのは」エミリー・ディキンソン大声を出して戦うのはとても勇ましい<br />
<br />
でももっと勇ましいのは<br />
<br />
胸の中に苦痛を収めて<br />
<br />
突撃する騎兵隊の人だと私にはわかっている<br />
<br />
<br />
誰が勝とうが、国々は見ていない<br />
<br />
誰が倒れようが、誰も気づかない<br />
<br />
その死にゆく瞳を、どの国も<br />
<br />
愛国の情で見守ってなどいない<br />
<br />
<br />
羽毛飾りを付けた天使たちが<br />
<br />
彼らのためには行進するだろうことを私は信じている<br />
<br />
隊列を組み、足並みさえそろえて<br />
<br />
雪の制服をまとってfuruyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-66341185308361782542016-10-06T02:25:00.000+09:002016-10-06T02:25:22.641+09:00「空はいま、屋根の上に」ポール・ヴェルレーヌ<br />
空はいま、屋根の上に、あんなに青く、あんなに静か!<br />
<br />
一本の樹が、屋根の上で枝葉をゆすっている。<br />
<br />
鐘の音が あそこに見える空の中で やすらかに鳴りわたる。<br />
<br />
あそこに見える樹の上で 一羽の鳥が嘆きの歌をうたっている。<br />
<br />
ああ 神さま、神さま、人生はあそこに 素朴に 物静かに。<br />
<br />
あの和やかなざわめきは街のほうからやってくる。<br />
<br />
どうしてしまったのか、そこにそうして きりもなく泣いているお前は、<br />
<br />
ねえ、どうしてしまった、いったいお前は<br />
<br />
おまえの若い日を。furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-83501597382039563712016-06-05T16:53:00.003+09:002016-06-05T16:53:48.788+09:00「朝のリレー」谷川俊太郎カムチャツカの若者が<br />
きりんの夢を見ているとき<br />
メキシコの娘は<br />
朝もやの中でバスを待っている<br />
ニューヨークの少女が<br />
ほほえみながら寝がえりをうつとき<br />
ローマの少年は<br />
柱頭を染める朝陽にウインクする<br />
この地球では<br />
いつもどこかで朝がはじまっている<br />
<br />
ぼくらは朝をリレーするのだ<br />
経度から経度へと<br />
そうしていわば交替で地球を守る<br />
眠る前のひととき耳をすますと<br />
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる<br />
それはあなたの送った朝を<br />
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだfuruyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-37078782248224796652016-06-05T16:50:00.000+09:002016-06-05T16:50:51.456+09:00「初恋」島崎藤村まだあげ初めし前髪の<br />
林檎のもとに見えしとき<br />
前にさしたる花櫛の<br />
花ある君と思ひけり<br />
<br />
<br />
やさしく白き手をのべて<br />
林檎をわれにあたへしは<br />
薄紅の秋の実に<br />
人こひ初めしはじめなり<br />
<br />
<br />
わがこゝろなきためいきの<br />
その髪の毛にかゝるとき<br />
たのしき恋の盃を<br />
君が情に酌みしかな<br />
<br />
<br />
林檎畑の樹の下に<br />
おのづからなる細道は<br />
誰が踏みそめしかたみぞと<br />
問ひたまふこそこひしけれ<br />
<br />
<br />
<br />
< ふりがな付き ><br />
<br />
まだあげ初(そ)めし前髪の<br />
林檎(りんご)のもとに見えしとき<br />
前にさしたる花櫛(はなぐし)の<br />
花ある君と思ひけり<br />
<br />
<br />
やさしく白き手をのべて<br />
林檎をわれにあたへ(え)しは<br />
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に<br />
人こひ(い)初めしはじめなり<br />
<br />
<br />
わがこゝろなきためいきの<br />
その髪の毛にかゝるとき<br />
たのしき恋の盃を<br />
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな<br />
<br />
<br />
林檎畑の樹(こ)の下に<br />
おのづ(ず)からなる細道は<br />
誰(た)が踏みそめしかたみぞと<br />
問ひ(い)たまふ(う)こそこひ(い)しけれfuruyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-14269735464017542672016-04-12T21:23:00.000+09:002016-04-12T21:23:19.846+09:00「こだまでしょうか」 金子みすゞ「遊ぼう」っていうと<br />
「遊ぼう」っていう。<br />
<br />
「ばか」っていうと<br />
「ばか」っていう。<br />
<br />
「もう遊ばない」っていうと<br />
「遊ばない」っていう。<br />
<br />
そうして、あとで<br />
さみしくなって、<br />
<br />
「ごめんね」っていうと<br />
「ごめんね」っていう。<br />
<br />
こだまでしょうか、<br />
いいえ、誰でも。furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-77672447853702812522016-04-12T21:17:00.000+09:002016-04-12T21:18:19.216+09:00「人の一日に必要なもの」 長田弘どうしても思いだせない<br />
確かにわかっていて、はっきりと<br />
感じられていて、思いだせない。<br />
思いだせないのは、どうしても<br />
ことばで言えないためだ。<br />
細部まで覚えている。<br />
感触までよみがえってくる。<br />
<br />
ことばで言えなければ、<br />
ないのではない。<br />
それはそこにある。<br />
ちゃんとわかっている。<br />
だが、それが何か<br />
そこがどこか言うことができない。<br />
言うことのできないおおくのもので<br />
できているのが、人の<br />
人生という小さな時間なのだと思う。<br />
思いだすことのできない空白を<br />
埋めているものは、<br />
たとえば、<br />
静かな夏の昼下がり、<br />
日の光のなかに降ってくる<br />
黄金の埃のようにうつくしいもの。<br />
音のない音楽のように、<br />
手につかむことのできないもの。<br />
けれども、あざやかに感覚されるもの。<br />
アンタレスのように、確かなもの。<br />
人の一日に必要なものは、<br />
意義であって、<br />
意味ではない。furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-54381855655621842092016-02-16T09:44:00.003+09:002016-02-16T09:45:10.788+09:00「ラーメンたべたい」矢野顕子ラーメンたべたい<br />
ひとりでたべたい<br />
熱いのたべたい<br />
<br />
<br />
ラーメンたべたい<br />
うまいのたべたい<br />
今すぐたべたい<br />
<br />
<br />
チャーシューはいらない<br />
なるともいらない<br />
ぜいたくいわない<br />
いわない けど けど…<br />
<br />
<br />
ねぎはいれてね<br />
にんにくもいれて<br />
山盛りいれて<br />
<br />
<br />
男もつらいけど 女もつらいのよ<br />
友達になれたらいいのに<br />
くたびれる毎日 話がしたいから<br />
思いきり大きな字の手紙 読んでね<br />
<br />
<br />
となりにすわる<br />
恋人達には<br />
目もくれずたべる<br />
<br />
<br />
わたしはわたしの<br />
ラーメンたべる<br />
責任もってたべる<br />
<br />
<br />
今度くるときゃ<br />
みんなでくるわ<br />
ばあちゃんもつれてくる<br />
けど けど けど…<br />
<br />
<br />
今はひとりで<br />
ひとりでたべたい<br />
ラーメンたべたい<br />
<br />
<br />
男もつらいけど 女もつらいのよ<br />
友達になれたらいいのに<br />
<br />
<br />
あきらめたくないの 泣きたくなるけれど<br />
わたしのこと どうぞ思いだしてね<br />
<br />
<br />
ラーメンたべたい<br />
ひとりでたべたい<br />
熱いのたべたい<br />
<br />
<br />
ラーメンたべたい<br />
うまいのたべたい<br />
今すぐたべたい<br />
たべたい<br />
<br />
<br />
(ラーメンたべたい ひとりでたべたい 熱いのたべたい)<br />
(ラーメンたべたい ひとりでたべたい 熱いのたべたい)<br />
<br />
<br />
ラーメンたべたい<br />
ひとりでたべたい<br />
<br />
<br />
ラーメンたべたい<br />
うまいのたべたいfuruyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-8412131629358777142015-10-08T07:02:00.003+09:002015-10-08T07:11:17.759+09:00「闇」小沢健二2003年、夏の日の夕方。<br />
ニューヨークで大停電が起こる。<br />
<br />
エレベーターに閉じ込められた人たちが助け出される。地下鉄が止まる。道路では信号が消えてしまって、車が立ち往生している。家に帰れなくなった人たちが街中に溢れる。みんなが一斉に電話を掛けるから、携帯電話のネットワークが落ちてしまった。<br />
<br />
パニックが起こるか、と思ったら、そんなことはなかった。街の人たちは、路上で休んでいる人たちをアパートに向い入れる。みんなが自分と感じが合いそうな人がいないか探り合っている。困っている人がいないか、注意している。みんなが頑張ろうとしていた。<br />
<br />
いつも小銭をねだってくるホームレスのオッサンが大活躍している。「あのビルの間は休みやすいよ。水が飲めるし、ビルが自家発電だし」とか、ホームレスのオッサンは近所の事情にやたら詳しい。<br />
<br />
テレビ局は大電力が必要なので機能しなくなってしまった。けれど、ラジオは放送を続けた。小さなラジオ局がホームレスのオッサンのように活躍していた。停電はニューヨークだけではなく、アメリカ北部とカナダまでを覆っているらしかった。そして、復旧の見込みは今夜一晩なかった。<br />
<br />
暑い夏の夜が始まる。<br />
<br />
生鮮食品を売る店は、どうせ腐ってしまうのだからと肉や野菜をタダで配り始めた。どこの家でもロウソクの明かりの下で、大勢のための料理が始まった。電池で動くラジオやCDプレーヤーから、音楽が流れ続ける。<br />
<br />
暗闇の中で、音楽は甘く、いつもよりくっきりと聴こえる。歌の歌詞は、雪の上の動物の足跡のようにはっきりと見える。言葉だけでなくて、音楽がはっきりと聴こえる。演奏している人、歌詞を書いた人の気持ちがドッキリするくらい近くに感じられる。そして、同じ暗闇の中に、同じ音楽を聴いている同じ気持ちの人がいることを感じる。<br />
<br />
昔の人は、門構えに音と書いて闇を表した。<br />
<br />
人が住んでいない砂漠にあるような闇が、大都会の上を覆う。その闇の中で音が響き、街中の路上でパーティーが始まった。いつも同じ感じで進んでいく世の中の中で、ある全然違う世の中が見える。一瞬だけ、ぜんぜん違う僕らのあり方が見える。明日は電気が復旧して、また元の生活が帰ってくる。<br />
<br />
けれど、今夜だけは、僕らは、ぜんぜん違う世界で時を過ごす。そして元の生活に戻っても、世の中の裂け目で一瞬だけ見たもの、聴いたものは消えない。真っ暗闇の中で音楽を聴いていた日のことは、絶対に忘れない。<br />
<br />
その記憶は、消えることが無い。furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-81867223635132519582015-10-08T06:46:00.001+09:002015-10-08T06:50:39.119+09:00「窓」ボードレール<br />
開いた窓の外からのぞき込む人は、決して閉ざされた窓を眺める人ほど多くのものを見るものではない。<br />
<br />
蝋燭の火に照らされた窓にもまして深い、神秘的な、豊かな、陰鬱な、人の眼を奪うようなものがまたとあろうか。<br />
<br />
日光のもとで人が見ることの出来るものは、窓ガラスの内側で行われることに比べれば常に興味の少ないものである。此の黒い、もしくは明るい空の中で、生命が生活し、生命が夢み、生命が悩むのである。<br />
<br />
波のように起伏した屋根の向こうに一人の女が見える。盛りをすぎて既に皺のよった、貧しい女である。いつも何かに寄りかかっていて、決して外へ出掛けることがない。<br />
<br />
私は此の女の顔から、衣物から、挙動ものごしから、いや殆んど何からということはなく、此の女の身の上話を――というよりは、むしろ伝説を造り上げてしまった、そして私は時々涙を流しながら、この話を自分に話して聞かせるのである。<br />
<br />
これがもし憐れな年とった男であったとしても、私は全く同じ位容易に彼の伝説を造りあげたであろう。それから私は他人の身になって生活し、苦しんだことを誇りに思いながら床に就くのである。<br />
<br />
諸君はこう云ふかも知れない、「その話しが事実だということは確かかね?」私の外にある真実がどんなものであろうと何の関りがあるものか――もしそれが、私が生活する助けとなり、私が自分の存在していることと、自分が何であるかということを感ずる助けとなったものならば。furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-44082229124456768052015-04-09T23:13:00.000+09:002015-06-08T17:54:08.478+09:00「わたしが一番きれいだったとき」茨木のり子<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
街々はがらがらと崩れていって<br />
とんでもないところから<br />
青空なんかが見えたりした<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
まわりの人達が沢山死んだ<br />
工場で 海で 名もない島で<br />
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった<br />
男たちは挙手の礼しか知らなくて<br />
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
わたしの頭はからっぽで<br />
わたしの心はかたくなで<br />
手足ばかりが栗色に光った<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
わたしの国は戦争で負けた<br />
そんな馬鹿なことってあるものか<br />
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
ラジオからはジャズが溢れた<br />
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら<br />
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
わたしはとてもふしあわせ<br />
わたしはとてもとんちんかん<br />
わたしはめっぽうさびしかった<br />
<br />
だから決めた できれば長生きすることに<br />
年とってから凄く美しい絵を描いた<br />
フランスのルオー爺さんのように ね<br />
<br />
<br />
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テレビを消したあと ぱっと画面が<br />
ぱっと画面が いっきょに暗くなって<br />
わたしは こわい<br />
テレビを消したのは 私の手なのに<br />
サルの手がしたみたいな 簡単なその操作が<br />
なにを消してしまったのか<br />
理解できない<br />
消滅したのは わたしじしん<br />
スイッチを押すと 感情が流れ もう一度押すと シャットアウト<br />
閉じられたこころには もう誰も入ってこられないよ<br />
わたしのなかには いつのころからか<br />
完璧な一台のテレビが入ってる<br />
そう思ったとき わたしのそとに<br />
一台のテレビが ありありと残った<br />
何にも映さない暗闇の箱<br />
そこに<br />
消滅したわたしが 埋葬されている<br />
わたしはテレビを消すたびに そうして自分を葬っているんだね<br />
それじゃあ、いま、ここにいるわたしは、いったい誰<br />
だんだん薄くなっているんだ<br />
ちかごろじゃ、紙切れみたいに感じる<br />
何をって? わたしじしんのこと<br />
深夜の台所<br />
素足が冷える<br />
お米の粒が 床にこぼれている<br />
母さんはいつも 計りこぼすんだ<br />
父さんは寝ているのかな まだ帰ってこないのかな<br />
ついさっき<br />
新潟地震の報道を見た<br />
土砂に埋まった車から まず、母親が運びだされた<br />
青いビニールシートでぐるぐるくるまれ<br />
ヘリコプターで運ばれていく途中<br />
荷物みたいに それは回転した<br />
死んでいるのか 生きているのか<br />
知りたかったけれど わからなかった<br />
テレビ画面は<br />
その後 奇跡のように助けられたという<br />
二歳の男の子の話ばっかり<br />
母親は死んだのか 生きているのか<br />
そのことには まったく触れない報道で<br />
触れないがために、母は死んだのだな、と<br />
わたしは察したが、わかりたくはなかった<br />
<br />
翌日の新聞で「死亡」という文字を見た<br />
そのときも 紙面のほぼすべては 生きていた男の子のことで埋め尽くされていた<br />
青いビニールシートで荷物のように運ばれ 運ばれる途中、<br />
ぐるりと回転した母親のことは<br />
もう終わったのだ おしまいなのだ<br />
(ママ!)<br />
朝の食卓<br />
母さんも父さんもなにごともなかったようで<br />
ロボットみたいにうごいている<br />
もしかしたら、ほんとうにロボットなのかもしれない<br />
(うるさいな、テレビ消してよ)<br />
そう思ったけれど、言えなかった<br />
だって きっと<br />
あれは呪文<br />
香りたつコーヒー、皿のうえのトースト、<br />
夢のようにたっぷりのせられたマーマレード<br />
テレビを消した瞬間に<br />
呪文もとけて<br />
みたくない現実が 洪水のようになだれこむんだ<br />
それは 食卓のコップをなぎ倒し<br />
床を水浸しにしてしまうだろう<br />
でもわたしは見たよ 忘れられない<br />
誰も触れなかった 母親のこと<br />
板にしばりつけられ 青いビニールシートでぐるぐるくるまれて<br />
ヘリコプターで運ばれていく途中<br />
それは回ったんだ<br />
荷物みたいにねfuruyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-47082637452808874202014-12-03T01:56:00.001+09:002014-12-03T01:56:56.109+09:00「終電車の風景」鈴木志郎康<br />
終電車の風景<br />
鈴木志郎康<br />
<br />
<br />
千葉行の終電車に乗った<br />
<br />
踏み汚れた新聞紙が床一面に散っている<br />
<br />
座席に坐ると<br />
<br />
隣の勤め帰りの婆さんが足元の汚れ新聞紙を私の足元にけった<br />
<br />
新聞紙の山が私の足元に来たので私もけった<br />
<br />
前の座席の人も足を動かして新聞紙を押しやった<br />
<br />
みんなで汚れ新聞紙の山をけったり押したり<br />
<br />
きたないから誰も手で拾わない<br />
<br />
それを立ってみている人もいる<br />
<br />
車内の床一面汚れた新聞紙だ<br />
<br />
こんな眺めはいいなァと思った<br />
<br />
これは素直な光景だ<br />
<br />
そんなことを思っているうちに<br />
<br />
電車は動き出して私は眠ってしまった<br />
<br />
亀戸駅に着いた<br />
<br />
目を開けた私はあわてて汚れ新聞紙を踏んで降りたfuruyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-54625967001165139502014-08-13T14:31:00.000+09:002014-08-13T14:31:47.909+09:00「ひとつでいい」トーマ・ヒロコひとつでいい<br />
トーマ・ヒロコ<br />
<br />
<br />
挨拶はひとつだけでいい<br />
おはようも<br />
ありがとうも<br />
さようならも<br />
おやすみも<br />
もう要らない<br />
<br />
朝一番の学校で<br />
「お疲れ」と声をかけてきた同級生<br />
起きるだけで<br />
ご飯を食べるだけで<br />
消耗するエネルギー<br />
バスに揺られて化粧して<br />
何度か停車をくり返し<br />
やがて見えてくる校舎<br />
バスを降りた瞬間<br />
家に帰りたくなる<br />
<br />
初デートの帰り道<br />
家まで送ってくれた彼氏の「お疲れ」<br />
スカート、目力(めぢから)主張、鈴のような笑い声<br />
慣れないことから<br />
もうすぐ解放される<br />
しかしまだ油断はできない<br />
彼の車が左折するまで<br />
笑顔で見送らなくてはならない<br />
左折すれば<br />
彼もホッとため息つくだろう<br />
<br />
家でごろごろするだけの休日でも<br />
夕方になれば<br />
肩が凝り<br />
脚がむくんで<br />
目がしょぼしょぼする<br />
<br />
おはようも<br />
ありがとうも<br />
ごめんなさいも<br />
さようならも<br />
おやすみも<br />
もう要らない<br />
この世を生き抜くためには<br />
挨拶はひとつでいい<br />
「お疲れ」だけで事足りるfuruyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-85549713962317535092014-07-30T02:12:00.001+09:002014-07-30T02:16:36.824+09:00「骨のうたう」竹内浩三戦死やあわれ<br />
<br />
兵隊の死ぬるや あわれ<br />
<br />
遠い他国で ひょんと死ぬるや<br />
<br />
だまって だれもいないところで<br />
<br />
ひょんと死ぬるや<br />
<br />
ふるさとの風や<br />
<br />
こいびとの眼や<br />
<br />
ひょんと消ゆるや<br />
<br />
国のため<br />
<br />
大君のため<br />
<br />
死んでしまうや<br />
<br />
その心や<br />
<br />
<br />
白い箱にて 故国をながめる<br />
<br />
音もなく なんにもなく<br />
<br />
帰っては きましたけれど<br />
<br />
故国の人のよそよそしさや<br />
<br />
自分の事務や女のみだしなみが大切で<br />
<br />
骨は骨 骨を愛する人もなし<br />
<br />
骨は骨として 勲章をもらい<br />
<br />
高く崇められ ほまれは高し<br />
<br />
なれど 骨はききたかった<br />
<br />
絶大な愛情のひびきをききたかった<br />
<br />
がらがらどんどんと事務と常識が流れ<br />
<br />
故国は発展にいそがしかった<br />
<br />
女は 化粧にいそがしかった<br />
<br />
<br />
ああ 戦死やあわれ<br />
<br />
兵隊の死ぬるや あわれ<br />
<br />
こらえきれないさびしさや<br />
<br />
国のため<br />
<br />
大君のため<br />
<br />
死んでしまうや<br />
<br />
その心や<br />
<br />
furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-8481420289358787312014-05-09T15:46:00.002+09:002014-05-09T15:46:45.097+09:00「いつ立ち去ってもいい場所」谷川俊太郎いつ立ち去ってもいい場所<br />
谷川俊太郎<br />
<br />
<br />
<br />
何をしに来たのかもはっきりせずにぼくはここへやって来て<br />
<br />
見様見真似でいつの間にか大人になった<br />
<br />
掛け値なしに好きでたまらないものももちろんあるけれど<br />
<br />
それは風のように一刻もここにとどまっていない<br />
<br />
<br />
電気スタンドのスイッチを直していて思ったことがある<br />
<br />
ぼくをここに結びつけているものはこのスイッチひとつで十分だと<br />
<br />
人間の作り出した小さな物が正常に動くこと<br />
<br />
それがぼくにとっては何にも変えられない喜びだ<br />
<br />
<br />
金属や木や硝子で作られたものは明瞭な輪郭をもっているが<br />
<br />
人のうちに隠れているあの図りがたい何かにはどんな輪郭もない<br />
<br />
だがそれは途方もない力でぼくをここに閉じこめ<br />
<br />
同時にどこかへ追放しようとする<br />
<br />
<br />
もみくちゃにされながらぼくは驚く<br />
<br />
人の手で作られた小さな物が泰然としてここにあることに<br />
<br />
それがそんなにもはっきりした目的を持っていることに<br />
<br />
ここがいつ立ち去ってもいい場所のように思えることがある<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-89389623128564997042013-11-01T15:56:00.000+09:002014-04-29T22:01:04.578+09:00「倚りかからず」茨木のり子<br />
もはや<br />
<br />
できあいの思想には倚りかかりたくない<br />
<br />
もはや<br />
<br />
できあいの宗教には倚りかかりたくない<br />
<br />
もはや<br />
<br />
できあいの学問には倚りかかりたくない<br />
<br />
もはや<br />
<br />
いかなる権威にも倚りかかりたくはない<br />
<br />
ながく生きて<br />
<br />
心底学んだのはそれぐらい<br />
<br />
じぶんの耳目<br />
<br />
じぶんの二本足のみで立っていて<br />
<br />
なに不都合のことやある<br />
<br />
倚りかかるとすれば<br />
<br />
それは<br />
<br />
椅子の背もたれだけ<br />
<br />
<br />
<br />
<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=FFFFFF&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=msso-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&ref=tf_til&asins=4480423230" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />furuyahttp://www.blogger.com/profile/09612314416931914768noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8811877170403497764.post-74367073571111441542013-10-24T07:11:00.003+09:002014-04-29T21:51:37.273+09:00「うたを うたうとき」まど・みちおうたを うたう とき<br />
わたしは からだを ぬぎすてます<br />
<br />
からだを ぬぎすてて<br />
こころ ひとつに なります<br />
<br />
こころ ひとつに なって<br />
かるがる とんでいくのです<br />
<br />
うたが いきたい ところへ<br />
うたよりも はやく<br />
<br />
そして<br />
あとから たどりつく うたを<br />
やさしく むかえてあげるのです<br />
<br />
<br />
<iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=msso-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&ref=qf_sp_asin_til&asins=4894563932" style="height: 240px; width: 120px;"></iframe><br />
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