「ひとつでいい」トーマ・ヒロコ

ひとつでいい
トーマ・ヒロコ


挨拶はひとつだけでいい
おはようも
ありがとうも
さようならも
おやすみも
もう要らない

朝一番の学校で
「お疲れ」と声をかけてきた同級生
起きるだけで
ご飯を食べるだけで
消耗するエネルギー
バスに揺られて化粧して
何度か停車をくり返し
やがて見えてくる校舎
バスを降りた瞬間
家に帰りたくなる

初デートの帰り道
家まで送ってくれた彼氏の「お疲れ」
スカート、目力(めぢから)主張、鈴のような笑い声
慣れないことから
もうすぐ解放される
しかしまだ油断はできない
彼の車が左折するまで
笑顔で見送らなくてはならない
左折すれば
彼もホッとため息つくだろう

家でごろごろするだけの休日でも
夕方になれば
肩が凝り
脚がむくんで
目がしょぼしょぼする

おはようも
ありがとうも
ごめんなさいも
さようならも
おやすみも
もう要らない
この世を生き抜くためには
挨拶はひとつでいい
「お疲れ」だけで事足りる