「きょう、ゆびわを」 小池昌代


「きょう、ゆびわを」

と言いかけて

彼が立ちあがった

きょうは、クリスマスである。

その背中に

(「あなたに、買った」)

と構想を重ねたが

人生は

「道で拾った」

と続くのだった

指にはめるとぐらぐらとまわった

小さなダイヤとサファイヤの。

「けいさつに」

届けるべきだろうか?

そんなことは知らない

がっかりしたので

「がっかり」と言った

彼は

「え?なに?なに?」と言いながら

ゆびわの今後に余念がない

持ち主は

ふっくらとした

やさしい指をした女にちがいない

わたしと

彼と

見知らぬ女と

その日

ゆびわのまわりには

ゆれうごくいくつかの感情があり

拾われて

所有者を離れたゆびわのみが

一点、 不埒に輝いている

「きょう、ゆびわを」

「いためて食べた」

でも

「きょうゆびわを」

「みずうみで釣った」

でもなく、

なぜ

「きょう、ゆびわを、道で拾った」のだ?

わたしはふいに

信じられないことだが

この簡単な構文に

自分が感動しているような気がした

ひとが歩き、ひとが生きたあとを

文が追っていく

なんということだろう

そして

あのひとが

「きょう、ゆびわを」

と言ったあと

そのあと

一瞬、訪れた、深い沈黙

文ができあがる

私に意味が届く

私をうちのめし、私を通りすぎ

生きられたことばは

すぐに消えてしまう

私はあわてて紙に書きつける

しかしそれは

どこからどう見たとしても

平凡でありきたりな一文だった

「きょう、ゆびわを、道で拾った」



「春宵感懐」 中原中也

雨が、あがつて、風が吹く。

   雲が、流れる、月かくす。

みなさん、今夜は、春の宵。

   なまあつたかい、風が吹く。


なんだか、深い、溜息が、

   なんだかはるかな、幻想が、

湧くけど、それは、掴(つか)めない。

   誰にも、それは、語れない。


誰にも、それは、語れない

   ことだけれども、それこそが、

いのちだらうぢやないですか、

   けれども、それは、示(あ)かせない……


かくて、人間、ひとりびとり、

   こころで感じて、顔見合せれば

につこり笑ふといふほどの

   ことして、一生、過ぎるんですねえ


雨が、あがつて、風が吹く。

   雲が、流れる、月かくす。

みなさん、今夜は、春の宵。

   なまあつたかい、風が吹く。






「さようなら」 谷川俊太郎



さようなら


ぼくもういかなきゃなんない

すぐいかなきゃなんない

どこへいくのかわからないけど

さくらなみきのしたをとおって

おおどおりをしんごうでわたって

いつもながめてるやまをめじるしに

ひとりでいかなきゃなんない

どうしてなのかしらないけど

おかあさんごめんなさい

おとうさんにやさしくしてあげて

ぼくすききらいいわずになんでもたべる

ほんもいまよりたくさんよむとおもう

よるになったらほしをみる

ひるはいろんなひととはなしをする

そしてきっといちばんすきなものをみつける

みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる

だからとおくにいてもさびしくないよ

ぼくもういかなきゃなんない

「儀式」石垣りん


母親は

白い割烹着の紐をうしろで結び

板敷の台所におりて

流しの前に娘を連れてゆくがいい。


洗い桶に

木の香のする新しいまないたを渡し

鰹でも

鯛でも

鰈でも

よい。


丸ごと一匹の姿をのせ

よく研いだ庖丁をしっかり握りしめて

力を手もとに集め

頭をブスリと落すことから

教えなければならない。


その骨の手応えを

血のぬめりを

成長した女に伝えるのが母の役目だ。

パッケージされた肉の片々(へんぺん)を材料と呼び

料理は愛情です、

などとやさしく諭すまえに。

長い間

私たちがどうやって生きてきたか。

どうやってこれから生きてゆくか。





「なんでもおまんこ」 谷川俊太郎


なんでもおまんこなんだよ

あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ

やれたらやりてえんだよ

おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな

すっぱだかの巨人だよ

でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな

空だって色っぽいよお

晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ

空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ

どうにかしてくれよ

そこに咲いてるその花とだってやりてえよ

形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ

花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ

あれだけ入れるんじゃねえよお

ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお

どこ行くと思う?

わかるはずねえだろそんなこと

蜂がうらやましいよお

ああたまんねえ

風が吹いてくるよお

風とはもうやってるも同然だよ

頼みもしないのにさわってくるんだ

そよそよそよそようまいんだよさわりかたが

女なんかめじゃねえよお

ああ毛が立っちゃう

どうしてくれるんだよお

おれのからだ

おれの気持ち

溶けてなくなっちゃいそうだよ

おれ地面掘るよ

土の匂いだよ

水もじゅくじゅく湧いてくるよ

おれに土かけてくれよお

草も葉っぱも虫もいっしょくたによお

でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ

笑っちゃうよ

おれ死にてえのかなあ