「倚りかからず」茨木のり子


もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ




「うたを うたうとき」まど・みちお

うたを うたう とき
わたしは からだを ぬぎすてます

からだを ぬぎすてて
こころ ひとつに なります

こころ ひとつに なって
かるがる とんでいくのです

うたが いきたい ところへ
うたよりも はやく

そして
あとから たどりつく うたを
やさしく むかえてあげるのです




「少女と雨」中原中也

少女がいま校庭の隅に佇(たたず)んだのは
其処(そこ)は花畑があって菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです

菖蒲の花は雨に打たれて
音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはいませんでした

しとしとと雨はあとからあとから降って
花も葉も畑の土ももう諦めきっています

その有様をジッと見てると
なんとも不思議な気がして来ます

山も校舎も空の下(もと)に
やがてしずかな回転をはじめ

花畑を除く一切のものは
みんなとっくに終ってしまった 夢のような気がしてきます





「このたたかいがなかったら」覚和歌子


このたたかいがなかったら
子どもは物売りに出かけずにすんだ
毎日欠かさず学校へ通えた

けれどこのたたかいがなかったら
家族を残してやってきた異国の兵士と
友だちになることはできなかった

このたたかいがなかったら
恋人たちははなればなれにならなかった
さびしさで胸をかきむしることもなかった

このたたかいがなかったら
今ごろつつましい結婚式をあげていた

けれどこのたたかいがなかったら
いのちとひきかえに深まる愛を
知らないままで老いたかもしれない

このたたかいがなかったら
町一番の食堂もこわされなかった

ひとのにぎわいも続いていて
働き口にもこまらなかった

けれどこのたたかいがなかったら
世界はこの国をかえりみなかった
国の名前さえ思い出さなかった

このたたかいがなかったら
死ななくてすむ子どもがいた
死ななくてすむ親がいた
そしてこのたたかいがなかったら
私はここに来なかった

混乱のまっただなかにも
子どものはじける笑顔があることと
それに救われるかなしみがあることを
たぶん死ぬまで知らずにいた