「ひとつでいい」トーマ・ヒロコ

ひとつでいい
トーマ・ヒロコ


挨拶はひとつだけでいい
おはようも
ありがとうも
さようならも
おやすみも
もう要らない

朝一番の学校で
「お疲れ」と声をかけてきた同級生
起きるだけで
ご飯を食べるだけで
消耗するエネルギー
バスに揺られて化粧して
何度か停車をくり返し
やがて見えてくる校舎
バスを降りた瞬間
家に帰りたくなる

初デートの帰り道
家まで送ってくれた彼氏の「お疲れ」
スカート、目力(めぢから)主張、鈴のような笑い声
慣れないことから
もうすぐ解放される
しかしまだ油断はできない
彼の車が左折するまで
笑顔で見送らなくてはならない
左折すれば
彼もホッとため息つくだろう

家でごろごろするだけの休日でも
夕方になれば
肩が凝り
脚がむくんで
目がしょぼしょぼする

おはようも
ありがとうも
ごめんなさいも
さようならも
おやすみも
もう要らない
この世を生き抜くためには
挨拶はひとつでいい
「お疲れ」だけで事足りる

「骨のうたう」竹内浩三

戦死やあわれ

兵隊の死ぬるや あわれ

遠い他国で ひょんと死ぬるや

だまって だれもいないところで

ひょんと死ぬるや

ふるさとの風や

こいびとの眼や

ひょんと消ゆるや

国のため

大君のため

死んでしまうや

その心や


白い箱にて 故国をながめる

音もなく なんにもなく

帰っては きましたけれど

故国の人のよそよそしさや

自分の事務や女のみだしなみが大切で

骨は骨 骨を愛する人もなし

骨は骨として 勲章をもらい

高く崇められ ほまれは高し

なれど 骨はききたかった

絶大な愛情のひびきをききたかった

がらがらどんどんと事務と常識が流れ

故国は発展にいそがしかった

女は 化粧にいそがしかった


ああ 戦死やあわれ

兵隊の死ぬるや あわれ

こらえきれないさびしさや

国のため

大君のため

死んでしまうや

その心や