「きょう、ゆびわを」 小池昌代
「きょう、ゆびわを」
と言いかけて
彼が立ちあがった
きょうは、クリスマスである。
その背中に
(「あなたに、買った」)
と構想を重ねたが
人生は
「道で拾った」
と続くのだった
指にはめるとぐらぐらとまわった
小さなダイヤとサファイヤの。
「けいさつに」
届けるべきだろうか?
そんなことは知らない
がっかりしたので
「がっかり」と言った
彼は
「え?なに?なに?」と言いながら
ゆびわの今後に余念がない
持ち主は
ふっくらとした
やさしい指をした女にちがいない
わたしと
彼と
見知らぬ女と
その日
ゆびわのまわりには
ゆれうごくいくつかの感情があり
拾われて
所有者を離れたゆびわのみが
一点、 不埒に輝いている
「きょう、ゆびわを」
「いためて食べた」
でも
「きょうゆびわを」
「みずうみで釣った」
でもなく、
なぜ
「きょう、ゆびわを、道で拾った」のだ?
わたしはふいに
信じられないことだが
この簡単な構文に
自分が感動しているような気がした
ひとが歩き、ひとが生きたあとを
文が追っていく
なんということだろう
そして
あのひとが
「きょう、ゆびわを」
と言ったあと
そのあと
一瞬、訪れた、深い沈黙
文ができあがる
私に意味が届く
私をうちのめし、私を通りすぎ
生きられたことばは
すぐに消えてしまう
私はあわてて紙に書きつける
しかしそれは
どこからどう見たとしても
平凡でありきたりな一文だった
「きょう、ゆびわを、道で拾った」