「詩の好きな人もいる」ヴィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska)
何人かの人々が――
つまりすべてではない
大多数ではなく少数の人々
詩を必須科目の一つとして学ばなくてはならない学生時代は別として
詩人もまた数には入れられないのだが
詩を好きだというのは 多分千人に二人位のもの
詩を好きな人々――
しかしマカロニ入りの鶏がらスープだって好きだろうし
お世辞をいったりいわれたり ありふれたブルーの色も好き
使いふるしたマフラーも
自己主張が強かったり
犬を撫でるのなんかも好きだ
詩とは――
ただ詩とは何なのか
この問いに対し
すでに多くの納得のいかない答がなされてきた
だが、私は依然として解答を出すことができず
それが救いの手すりででもあるかのように
ずっと握りしめている
「夜のミッキーマウス」谷川俊太郎
夜のミッキー・マウスは
昼間より難解だ
むしろおずおずとトーストをかじり
地下の水路を散策する
けれどいつの日か
彼もこの世の見せる
陽気なほほえみから逃れて
真実の鼠に戻るだろう
それが苦しいことか
喜ばしいことか
知るすべはない
彼はしぶしぶ出発する
理想のエダムチーズの幻影に惑わされ
四丁目から南大通りへ
やがてはホーチーミン市の路地へと
子孫をふりまきながら歩いて行き
ついには不死のイメージを獲得する
その原型はすでに
古今東西の猫の網膜に
3Dで圧縮記録されていたのだが
「朝の食事」ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)
茶碗に
コーヒーをついだ
茶碗のコーヒーに
ミルクをいれた
ミルク・コーヒーに
砂糖をいれた
小さなスプンで
かきまわした
ミルク・コーヒーを飲んだ
それから茶碗をおいた
私にはなんにも言わなかった
タバコに
火をつけた
けむりで
環をつくった
灰皿に
灰をおとした
私にはなんにも言わなかった
私の方を見なかった
立ちあがった
帽子をあたまに
かぶった
雨ふりだったから
レインコートを
身につけた
それから雨のなかを
出かけていった
なんにも言わなかった
私の方を見なかった
それから私は
私はあたまをかかえた
それから泣いた。
「家族の唄」ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)
おふくろが編物をする
息子が戦争をする
これは当然のこと とおふくろは思う
それならおやじ おやじは何をする
おやじは事業をする
家内は編物
息子は戦争
わしは事業
これは当然のこと とおやじは思う
それなら息子 それなら息子は
どう思う 息子は
息子はなんとも思わない 何とも
おふくろは編物 親父は事業 ぼくは戦争
戦争が終ったら
おやじと二人で事業をするだろう
戦争がつづく おふくろがつづく 編物をする
おやじがつづく 事業をする
息子が戦死する 息子はつづかない
おやじとおふくろが墓参りをする
これは当然のこと とおやじとおふくろは思う
生活がつづく 編物と戦争と事業の生活
事業と事業と事業の生活
生活とお墓が。
「キラキラヒカル」入沢康夫
キラキラヒカルサイフヲダシテキ
ラキラヒカルサカナヲカツタキラ
キラヒカルオンナモカツタキラキ
ラヒカルサカナヲカツテキラキラ
ヒカルオナベニイレテキラキラヒ
カルオンナガモツテキラキラヒカ
ルオナベノサカナキラキラヒカル
オツリノオカネキラキラヒカルオ
ンナトフタリキラキラヒカルサカ
ナヲモツテキラキラヒカルオカネ
ヲモツテキラキラヒカルヨミチヲ
カエルキラキラヒカルホシゾラダ
ツタキラキラヒカルナミダヲダシ
テキラキラヒカルオンナガナイタ
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