「闇」小沢健二

2003年、夏の日の夕方。
ニューヨークで大停電が起こる。

エレベーターに閉じ込められた人たちが助け出される。地下鉄が止まる。道路では信号が消えてしまって、車が立ち往生している。家に帰れなくなった人たちが街中に溢れる。みんなが一斉に電話を掛けるから、携帯電話のネットワークが落ちてしまった。

パニックが起こるか、と思ったら、そんなことはなかった。街の人たちは、路上で休んでいる人たちをアパートに向い入れる。みんなが自分と感じが合いそうな人がいないか探り合っている。困っている人がいないか、注意している。みんなが頑張ろうとしていた。

いつも小銭をねだってくるホームレスのオッサンが大活躍している。「あのビルの間は休みやすいよ。水が飲めるし、ビルが自家発電だし」とか、ホームレスのオッサンは近所の事情にやたら詳しい。

テレビ局は大電力が必要なので機能しなくなってしまった。けれど、ラジオは放送を続けた。小さなラジオ局がホームレスのオッサンのように活躍していた。停電はニューヨークだけではなく、アメリカ北部とカナダまでを覆っているらしかった。そして、復旧の見込みは今夜一晩なかった。

暑い夏の夜が始まる。

生鮮食品を売る店は、どうせ腐ってしまうのだからと肉や野菜をタダで配り始めた。どこの家でもロウソクの明かりの下で、大勢のための料理が始まった。電池で動くラジオやCDプレーヤーから、音楽が流れ続ける。

暗闇の中で、音楽は甘く、いつもよりくっきりと聴こえる。歌の歌詞は、雪の上の動物の足跡のようにはっきりと見える。言葉だけでなくて、音楽がはっきりと聴こえる。演奏している人、歌詞を書いた人の気持ちがドッキリするくらい近くに感じられる。そして、同じ暗闇の中に、同じ音楽を聴いている同じ気持ちの人がいることを感じる。

昔の人は、門構えに音と書いて闇を表した。

人が住んでいない砂漠にあるような闇が、大都会の上を覆う。その闇の中で音が響き、街中の路上でパーティーが始まった。いつも同じ感じで進んでいく世の中の中で、ある全然違う世の中が見える。一瞬だけ、ぜんぜん違う僕らのあり方が見える。明日は電気が復旧して、また元の生活が帰ってくる。

けれど、今夜だけは、僕らは、ぜんぜん違う世界で時を過ごす。そして元の生活に戻っても、世の中の裂け目で一瞬だけ見たもの、聴いたものは消えない。真っ暗闇の中で音楽を聴いていた日のことは、絶対に忘れない。

その記憶は、消えることが無い。