「夕焼け」吉野弘
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりがすわった。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘はすわった。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
また立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘はすわった。
二度あることは と言うとおり
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
かわいそうに
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッとかんで
からだをこわばらせて――。
ぼくは電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
なぜって
やさしい心の持ち主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇をかんで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。