「海に住む少女」ジュール・シュペルヴィエル

この海に浮かぶ道路は、いったいどうやって造ったのでしょう。どんな建築家の助けを得て、どんな水夫が、水深六千メートルもある沖合い、大西洋のまっただなかに、道路を建設したというのでしょう。道に沿って並ぶ赤レンガの家、いえ、もうすでに色あせてフランス風のグレーになっていたけれど、この家や、スレートやかわらで出来た屋根や、地味でかわりばえのしないお店はいったい、どうやって? あの小窓がたくさんついた鐘楼はどうやって? たぶんガラス片のついた塀に囲まれた庭だったのだろうけれど、今や海水でいっぱいになっていて、時たま塀の上を魚が跳ねたりする場所は、誰がどうやって?
波に揺さぶられることもなく、建物がみんなちゃんと建っているのはどうして?
そこにまったくのひとりぼっちで暮らす、十二歳くらいの少女。海水のなかの道を、ふつうの地面みたいに、すたすたと木靴で歩いてゆくこの少女は、いったい?
 眺めているうちに、わかるにつれて、おいおいお話しするつもりですが、謎のままであるべきことは、そのままにしておくしかありません。
 船が近づくと、まだ水平線にその姿が見えないうちから、少女はとても眠たくなって、町はまるごと波の下に消えてしまいます。だから船乗りたちは、望遠鏡の先にすらこの町を見たことがなく、町があるなんて考えたことさえないのです。
少女はこの世に、自分以外にも女の子がいるなんて知りませんでした。いえ、そもそも自分が少女であることすら、知っていたのでしょうか。

とんでもない美少女、というわけではありませんでした。前歯にちょっと隙間がありましたし、鼻もちょっと上向きでしたから。でも、肌は真っ白で、そのうえに少しだけ、てんてんがありました。まあ、そばかすといってもいいでしょう。ぱっちりというわけではありませんが、輝く灰色の瞳が印象的なこの少女、灰色の瞳に動かされているようなこの少女の存在に気がついたとき、あなたは時間の底から大きな驚きが湧き上がり、身体をつらぬき、魂にまで届くのを感じることでしょう。
この町でたった一人のこの少女は、時おり、まるで誰かが手を振ったり、会釈をしてくれたり、何か挨拶をしてくれるのを待っているかのように、道の左右を眺めます。でも、それはそんなふうに見えるだけのこと。少女にそんなつもりはないのです。だって、この誰もいない町、今にも消えてしまいそうなこの町では、何も、そして誰も、やってくるはずなどないのですから。
少女は、どうやって生活しているのでしょう。魚を釣っている?  そんなことはないでしょう。食べ物は、台所の棚や食料庫にありました。二、三日にいっぺんは、お肉もありました。じゃがいもや、そのほかの野菜、卵もときどき、そこに入っていました。
食料は棚のなかに、自然と湧いてくるのです。そして、少女がびんを開けてジャムを食べても、ある日そうだったのとまったく同じように、すべてのものは永遠にそのままであるかのように、ジャムは開封前の状態に戻ってしまうのです。
朝には焼きたてのパンが半リーヴル(約二五〇グラム)、包装紙に包まれて、パン屋の大理石のカウンターに置かれています。カウンターの向こうには、いつ見ても誰もいません。パンを少女に差し出す手や、指先が見えるわけでもありません。
少女は朝早くに起きて、お店のシャッターを上げてまわります(シャッターには、居酒屋の看板もあり、鍛冶屋やパン屋、小間物屋などと書いてあるのです)。すべての家のよろい戸を開け、海風が強いので、きっちり留め金をかけてゆきます。お天気しだいで窓を開けることもあります。いくつかの家の台所でかまどに火を起こし、三、四軒の屋根から煙が立ち上るようにします。
日暮れの一時間前になると、あたりまえのように、よろい戸を閉めてまわります。そして、シャッターを下ろすのです。
少女はこの役割を、本能のままに、何もかもきちんとしておかなければならないという日々の思いに動かされて、黙々とこなしています。あたたかな季節には、窓に敷物を干したり、洗濯物を出したりもします。まるで、何とかこの町に生活感を出そうと、少しでも誰かがいるみたいに見せようとしているかのようです。
祝日に掲揚する町役場の旗のことも、一年じゅうずっと、気にかけていなければなりません。
夜になるとロウソクをともしたり、ランプの明かりで縫い物をしたりします。町には電気のある家が何軒かあり、少女は愛らしく気取らぬ様子で、電気のスイッチに手をやるのでした。
あるとき、少女はある家の扉のノッカーに喪章を結びました。何だかいいなと思ったのです。
少女は、二日間そのままにしておいてから、喪章を隠しました。
また別のあるとき。少女は、なんと、太鼓をたたき始めました。皆にニュースを知らせてまわるかのようです。少女は海の向こうまで聞こえるように、むしょうに何か大声で叫びたくなったのです。でも、のどが詰まり、声はでてきませんでした。あんまり声をだそうとがんばったので、ついには、顔や首が血の気を失い、溺死体のような色になってしまったほどです。結局、太鼓をいつもの場所、町役場の大広間の奥、左側の隅っこに戻さねばなりませんでした。
少女は、螺旋階段を使って、鐘楼に登りました。誰の姿も見たことがないのに、階段は多くの足で踏まれて磨り減っていました。鐘楼の階段は五百段あるはずだと、少女は思っていました(実際には九十二段でしたが)。鐘楼からは、レンガ造りの建物のあいだから見るよりも、ずっと広い空を眺めることができます。それに、朝と晩、正確に時刻を告げてもらうには、ねじを巻き、大きな柱時計を満足させなければなりません。
納骨堂、裁断、暗黙の秩序を迫る石造りの聖人像。きちんと並び、老若男女の訪れを待っている、今にもおしゃべりが聞こえてきそうな椅子の列。金色の飾りは古び、これからもこのまま朽ちてゆきそうな祭壇。そのどれもこれもが、何だか気になって、でも怖くもありました。だから、少女は一度も礼拝堂には入ったことがありませんでした。時おり、暇なときに布張りの扉を細く開け、息をころしたまま中にちらりと目をやるだけで充分でした。
少女の部屋にある衣装箱には、家族手帳や、ダカール、リオデジャネイロ、香港からの絵葉書が入っていました。絵葉書には、シャルル、もしくは、C・リエヴァンという署名があり、スティーンヴォルドという住所が書いてありました。でも、海のただなかに住むこの少女は、これらの遠い国のことも、シャルルやスティーンヴォルドが何なのかも知りません。
棚には写真アルバムもありました。そのなかの一枚には、海に住むこの少女と、よく似た少女が写っていました。少女はこの写真をみると、しばしば何だか居たたまれない気分になりました。何だか写真のなかの少女のほうが正しいような、本物のような気がするのです。
写真のなかの少女は輪回しの輪をもっていました。少女は、同じような輪をもっていました。少女は同じような輪を町じゅう探しまわりました。ある日、ようやく見つかりました! ワイン樽のたがに使われている鉄の輪です。でも海のなかの道を、輪を追いかけて走ってみても、輪はすぐに沖に流されていってしまうのです。
別の写真では、少女の両側に、水平の服を来た男のひとと、よそゆきの服を着た、か細い女のひとが立っていました。海に住む少女は、男のひとも女のひとも見たことがなかったので、このひとたちはいったいなぜこうしているのだろうと、ずっと不思議に思っていました。真夜中にふと、まるで雷に打たれたようにはっとする瞬間でさえ、それが気になっているのでした。
少女は、毎朝、ノートや文法書、算数、歴史、地理の教科書がつまった大きなランドセルを背負って、町の学校に行きます。
フランス学士院の会員であるガストン・ボニエ、サイエンス・アカデミーの受賞者であるジョルジュ・レイヤンの共著、一般的な植物から薬草、毒草まで、八百九八の図説が入った植物図鑑もあります。
少女は植物図鑑の序文を読み上げます。
「あたたかい季節のあいだ、野原や森は植物にあふれ、じつに簡単にたくさんの種類の植物を集めることができます」
歴史、地理、いろんな国のこと、偉人たちのこと、山や河、国境のこと。大西洋でいちばん孤独な少女に、誰もいない道ばかりが続く小さな町しか見たことがない少女に、どうやってそれを説明すればいいのでしょう。
そもそもその大西洋でさえ、地図に載っている大西洋が、今まさに自分のいる場所だなんて、少女はわかっていないのです。いえ、ほんの一瞬だけ、そんなことを想像した日もありました。でも、そんなの馬鹿げているし、危険すぎると思ってあわてて打ち消したのです。

とりあえず、目に見えない先生が書き取り問題を出しているみたいに、少女はしばらくじっと動かずに耳をすまし、それからいくつかの言葉を書き取り、また耳をすまし、また書き始めます。それからいくつかの言葉を書き取り、また耳をすまし、また書き始めます。それから文法書を開き、しばらくのあいだ息をつめて、60ページの例題168に見入っていました。
少女は、この問題が好きなのです。まるで問題集が言葉をもち、少女に直接話しかけてくれているような気がするからです。
「あなたは……ですか」「あなたは……思いますか」「あなたは……話しますか」「あなたは……ほしいですか」「……声をかけるべきですか」「いったい……あったのですか」「……責めているのですか」「あなたは……できますか」「あなたは……しでかしたのですか」「……問題ですか」「このプレゼントを……もらいましたか」「あなたは……つらいのですか」(必要な助詞を補いながら……の部分に適切な疑問題名詞を入れなさい)


時おり、少女はどうしても、何か文章を書かずにいられない気分になります。そして、一生懸命に文字をつづります。
いろんなことを書くのですが、そのなかの一部を見てみましょう。
「これを二人で分けましょう。どうですか」
「聞いてください。おかけください。動かないでください。おねがいです」
「もしわたしに高山の雪がひとかけらでもあれば、一日があっという間に終わるのに」
「泡よ、泡よ。わたしのまわりの泡よ。もっと硬いものになれないの?」
「輪になるには、最低、三人がひつようだ」
「埃の舞う道路を、顔のない二つの影が逃げ去ってゆきました」
「夜、昼、昼、夜、雲、それから飛び魚たち」
「何か物音が聞こえたように思いましたが、海の音でした」
町のこと、自分のことを手紙に書くこともありました。誰かに宛てて書くわけではありません。手紙の末尾に「あなたにキスを」とは書きませんし、封筒には宛名もありません。
手紙を書き終えると、海に投げます。――別に捨てるわけじゃありません。ただ、こうするべきだからです――もしかすると難破船の船員が、すがる思いで最後のメッセージをびんに詰め、波に託すようなものかもしれません。
海に漂う町では、時間がとまっています。少女はいつまでも十二歳のままです。いくら自室の鏡のまえで胸を反り返らせてみても、大きくなりはしないのです。
ある日、アルバムの少女とそっくりの三つ編みや広いおでこが嫌いになり、自分や写真に腹が立ってきました。そこで、少しでも大人っぽく見えるように乱暴に髪をふりほどき、肩にたらしてみました。もしかすると、まわりに広がる海も何か変わるのではないかしら。真っ白いひげの大きなヤギが海から現れ、様子を見に来るのではないかしら。
でも大西洋にはあいかわらず何の気配もなく、少女のもとを訪れたのは、いくつかの流れ星だけでした。
ある日、まるで運命のいたずらのように、運命の確固たる意志にほころびが生じたかのように、変化が訪れました。小さな本物の貨物船がもくもくと煙を吐きながら、ブルドックのように強引に、荷が重いわけでもないのに(日の光をあびて、喫水線の下の赤い部分が帯のように見えていました)、大波に揺らぐこともなく、少女の住む町の道を通り過ぎていったのです。しかも、家並は海中に消えることなく、少女が睡魔に襲われることもありませんでした。
ちょうど正午でした。貨物船はサイレンを鳴らしました。でも、サイレンが町の鐘とまじりあうことはありませんでした。二つの音はまったく別々に鳴り響いていたのです。
少女は、生まれて初めて人間が鳴らした音を耳にし、窓にかけよると、大声で叫びました。
「助けて!」
そして、学校で使うエプロンを船にむかって振りました。
舵手は振り返ろうとさえしませんでした。ひとりの水夫が、煙草をふかしつつ、何事もなかったように甲板を通り過ぎます。他の者たちも、洗濯の手をやすめようとしません。船首では、先を急ぐ貨物船のために、イルカたちが左右によけて道を譲っています。
少女は道に飛び出し、身を伏せるようにして、路上に残った船の航跡を抱きしめました。ずっとそうしていたので、少女が立ち上がる頃には、その航跡も海の一部へと戻り、もう何の名残も感じられないまっさらの海になってしまうのでした。
家に帰り、少女は自分が「助けて」と叫んだことに愕然としました。そのとき初めて、この言葉が本当は何を意味しているのか、理解したのです。
その意味に気がつくと、怖くなりました。あのひとたちには、あの声が聞こえなかったのでしょうか。船乗りたちは、耳が聞こえなかったのでしょうか。目が見えなかったのでしょうか。それとも、海の深さよりもずっと残酷なひとたちだったのでしょうか。
そのとき、これまでは町から距離をおき、どうみても遠慮していたと思える波が、少女のもとに流れ込んできました。大きな大きな波は、他の波よりもずっと遠くまで左右に広がってゆきました。波のてっぺんには、白い泡でできた本物そっくりの眼がありました。
 波は、あることに思いあたり、そのままにしておけないという様子でした。一日何百回と生まれては崩れてゆく波ですが、いつでも必ず、同じ位置にはっきりと眼をつけておくことを忘れませんでした。時おり、波は何かに気をとられ、自分が波であること、七秒毎に繰り返さねばならないことを忘れて、波頭のまま宙に一分近くもとどまることもありました。
じつは、この波、ずいぶん前から少女のために何かしてあげたいと思っていました。でも、何をすればよいのかわからなかったのです。波は、貨物船が遠ざかるのを目にし、取り残された少女の苦しみに気がつきました。我慢できなくなった波は、無言のまま、少女の手を引くようにそこからほど遠からぬ場所につれてゆきました。
波は波のやり方で少女の前にひざまずくと、大事に大事に、少女を自分の奥深くに抱きかかえました。そのままずっと少女を抱きしめ、死の力を借りて、連れ去ってしまおうとしたのです。少女自身も息をとめて、波の考えた重大な計画に従おうとしました。
ついに命を奪えないまま波は少女を空高く、海燕ほどの大きさに見えるほどまで突き上げました。そのまま、ボールのように落ちてきた少女を受け止め、突き上げ、受け止めてと繰り返しました。少女は、ダチョウの卵のような大きな泡が散らばるなかに落ちてきました。
結局、何ごとも起こらず、少女を死にいたらせることができないとわかると、波は何度も何度も涙で詫を囁きながら、少女を家に送り届けました。
かすり傷ひとつ負わなかった少女は、何の希望もないままよろい戸の開け閉めを続け、水平線に船影が浮かぶやいなや、海のなかに消えてゆく生活に戻りました。

沖合で、手すりにひじをつき、物思いにふけるそこの水兵さん、夜の闇のなかで愛するひとの顔をじっと思い浮かべるのも、ほどほどにしておいてくださいな。あなたのそんな思いから、とくに何もないはずの場所に、まったく人間と同じ感性をもちながら、生きるのも死ぬのもままならず、足することもできず、それでも、生き、愛し、今にも死んでしまいそうであるかのように苦しむ存在が、生まれてしまうかもしれないのです。海の孤独のなか、なんのよりどころも持たない存在が、生まれてしまうかもしれないのです。海の孤独のなか、なんのよりどころも持たない存在が生まれてしまうかもしれないのです。そう、この大西洋のなかに住む少女のように。
少女は、ある日、四本マストの船アルディ号の船員、スティーンヴォルド出身のシャルル・リエヴァンの思いから生まれました。十二歳の娘を失った船乗りは、航海中のある晩、北緯五十五度の位置で、死んだ娘のことを、それはそれは強い力で思いました。それが、少女の不運となったのです。


原題: L'enfant de la baute mer
Jules Supervielle
1931年発表